Overview
トラッドかつモダンデザインな銀行建築
明治以降、北浜周辺は株式取引所を中心に金融街として発展し、数多くの銀行や金融関連企業の社屋が建設されました。新井ビルも、1922年(大正11年)報徳銀行大阪支店としてこの地に誕生しました。
当時の銀行建築は、威厳と格式を重んじた古代ギリシャ・ローマ建築に起源を持つ古典様式が、共通のデザインとして用いられる事が多く、例えば堺筋を挟んで斜め向かいに建つ、三井住友銀行大阪中央支店(旧三井銀行大阪支店/1936年)のクラシカルで重厚な外観は、まさにその代表といえるでしょう。
当ビルも、1階部分の正面中央に列柱を配したシンメトリー(左右対称)や、花崗岩の石積み風の重厚な仕上げは、銀行建築らしいトラディショナルなデザインを採用しています。しかし、2階以上には当時流行しつつあったタイルが使われており、装飾的要素を簡略化、幾何学化されたスタイルは、当時としては随分とモダンで軽やかな印象を与えていたものと思われます。
建物は地上4階、地下1階建て。銀行の営業室として使われていた1、2階は大きな吹き抜け空間になっており、金融業営業室として利用された後はリノベーションされ店舗として使われてきました。2階部分は回廊に沿ってぐるりと個室が配され、現在は喫茶サロンとして使われています。建築当時の銅製建具や貴重な国産大理石を使用した腰壁は、往年の雰囲気を今も感じることが出来ます。
オフィスとして使われている3、4階へは吹き抜けの美しい廻り階段が階上へ繋がっています。かつてはこの吹き抜けの中央にエレベーターが設置されていましたが、戦時中の金属供出で撤収されました。
※ 3、4階のオフイスゾーン(当ビル正面右側入口)は関係者以外の立ち入りはお断りしております。ビルの雰囲気は1、2階の洋菓子店『五感本館』さんでお楽しみ下さい。
新井ビル建築概要
- 建築年:1922(大正11)年
- 構造:鉄筋コンクリート造
- 規模:地上4階、地下1階
- 設計:河合建築事務所(河合浩蔵)
- 施工:清水組
各階居室の状況
- 4階:7室(貸事務所)
- 3階:8室(貸事務所)
- 1、2階:店舗
- 地階:店舗1、倉庫他1
設計者・河合浩蔵について
新井ビルの設計者である河合浩蔵氏(1856-1934)は、工部大学校で建築を学び中央官庁に入省。ドイツ留学経て、重要文化財の法務省旧本館の建設など中央官庁計画に携った人物です。大阪地方裁判所の大阪控訴院(現存せず)、造幣博物館、神戸地方裁判所、神戸海岸ビル(旧三井物産神戸支店)、海岸ビルヂングなど関西を中心に手掛け、1905年(明治38年)には神戸に事務所を設立。日本人建築家の第一世代として活躍されました。
新井ビルは氏の60代半ばの作品で、円熟期になってもゼツェッション様式(※)を取り入れるなど、常に新しいデザインに挑戦を続け、自ら「現代式」と呼んだその作風は今も多くの建築ファンを惹付けます。
※ゼツェッション様式とは、世紀末のウィーンで始まった総合的な芸術運動。過去の様式に囚われない、新しい表現を目指し、ヨーロッパを遊学した建築家を中心に20世紀以降日本でも広まった。